言論と自由

昨日のやつのブックマークは11ユーザーか。はてブのトップページに長くいたようで、けっこうアクセスも多かった。

しかしこんなので評価されても一つも嬉しくない。ブックマークするということは他人に勧めるということで、ネガティブなコメントがなければ賛同したという意味に取られてしまいがちだ。自分のお勧めを見たがる人に勘違いされないように、ブックマークは賛同できる文章に対してなされることが多い。

昨日のは内容が一般的すぎた。荒らしが害悪だなんてのは誰でも分かってる話で、そもそも定義上、害悪でない書き込みは荒らしとはいわないんだから、荒らしが害悪だ、なんてのは何も言ったことにならないし、そんなのに賛同したところで私は日本語がわかりますというぐらいの意味しかない。荒らしが死ぬべきだ、という所までいっても、人命を無闇に尊ばない人には賛同されるだろうなと思っていたが、実際賛同されてしまった。

おそらく賛同したのは、もともと荒らしが死ぬべきだと思ってた人がほとんどで、その人たちは読む前と読んだ後で特に意見が変わっていない。それでは、文章を読んだ意味がない。ある時間を割いて文章を読み、脳を働かせ、カロリーを消費したにも関わらず、自分自身は何一つ変わっておらず成長もしていない。それでは単なる時間の無駄で、その文章を書いた俺は時間の無駄に加担してしまったことになる。

例えば文章を読んで、自分の価値観に近いから賛同できる、遠いから賛同できない、そういった評価を下す。その行為には実に意味がない。自分の価値観自体はその過程で何一つ変更されていないし、むしろ自分の価値観を軸にして自分勝手に物事を判断することで、自分の価値観を強固にしてしまっている。それは変化を阻害するので害悪だ。

沢山の人に賛同され、ブックマークされる。そういった文章は価値観を変更せずに賛同できるような内容であることがほとんどだ。多くの人がもろてを上げて賛同するような文章は、ストレス解消にはいいかもしれないが、その内実は時間の無駄で、読んでも何の変化も起こらない。そんな文章は書くべきじゃないと思っているので、俺はいつも真偽定かならぬこと、簡単には賛同出来ないことを書くことにしている。

だから、昨日のやつみたいに賛同されやすいことを書いて、実際に賛同されても、時間の無駄に加担してしまったという後悔しか感じない。こういうスタンスなので、真面目な文章にはあまりブックマークがつかないが、それで全く満足だ。