荒らし

匿名という自由を与えられて、好きな事を言っていいよと言われた時に、わざわざ人の悪口を言おうと思う人はどれだけいるのだろう。2chやこのブログを見ると多く見えるが、ほんとはそんなにはいない。世の中はそんなに絶望するほどひどくはない。

本当の気持ちに正直になっていい時に、やりたくなることが他人に不快感を与えることだとしたら、そんな人生は誰も生きたくないだろう。社会的束縛から自由になって、好きなことをしゃべっていいよと言われて、他人を貶める発言を始める。自分でなく、他人を。喜ばせるのでなく、不快にさせる。そんな人間には、誰もなりたくない。彼らだってそうだ。

確かにこの世には性悪説を採用しないと説明出来ないことがあって、この現象もその一つだ。彼らはなぜ他人を攻撃するのか。彼らがあんな風になってしまった原因は、本当にたいしたことじゃない。原因なんてないと言ったほうがいい。彼らは本来、そういう人間であったとしか言いようがない。そして理屈では、自分達のやっていることが誰にも褒められず、尊敬もされず、誰にも益をなさずただ害だけを与える、どうしようもない行為であることを分かっている。しかし、やめられない。このどうしようもない行為を行わないと、本来の自分が満足しない。人を貶めることで満足するどうしようもないプライドが突き動かす衝動に、従う以外の選択肢を持っていない。

自由を与えられて悪を行う人間には、自由を与えるべきじゃないし、そもそも生まれてくるべきじゃない。なのに彼らは既に、生まれてきてしまっている。死ぬべきだとは言わないが、論理的にはそれしかないだろう。本来が悪であり、悪を行うために生まれ、自由を与えられれば悪を行う人間。自由になっても他人を攻撃するためにしか使えない。生まれてきた意味のない人間。それが生まれてきた時からの、遺伝子による定めで、覆らないのならば、生きているべきではないだろう。

生まれてきたならば、その命は何かのために使われるべきだ。生きていても誰のためにもならない命は、反省し、誰かのために使われるよう努力するべきだ。生きていても誰かを攻撃することしか出来ない命なら、生きているべきではない。願わくば、理由なく本性として悪である人間でも、努力すれば誰かを攻撃せずにいられる可能性があってほしい。しかし、生まれてきた時からそうであったものが変わるということが起こるのを、望むのは難しいだろう。