ブログとかネットとか

アンテナやRSSリーダーを使ってる人よりもお気に入りを使ってる人が多い。お気に入りはほとんどの場合制御不能に陥っており、よくアクセスする一部のお気に入り以外はどこに何があるのか分からない。

だから、よくアクセスされないお気に入りは死ぬ。お気に入りは更新確認出来ないから、気が向いた時にとりあえずアクセスしてみる。そこで更新がないと、ちょっとがっかりする。ちょっとがっかりが積み重なるうちに、このサイト更新とまっちゃったみたいだな、となって、アクセスされなくなり、忘れられ、お気に入りもどこいったか分からなくなる。

だから、お気に入りユーザーには頻繁な更新をしないと忘れられてしまう。

今後俺は頻繁な更新をするべきなんだろうか。ほんとは、たまにしか更新しないけど、そこで着実に面白いことを言っていく感じにしたい。

更新確認のあるツールを使う人には、これが一番いい戦略になると思うが、お気に入りの人には忘れられかねない。

そして、着実に面白いことを言っていこうとすると、面白いこと書かなきゃというプレッシャーになってしまってうまくいかなくなる気がする。

ほんとはこの旅はpmokyではなくharuyutakaがやる予定だった。俺がpmokyとしてやってかたことは実に乱雑でとりとめがなく、書いてることに何の方向性もなかった。まあ好き勝手書いてたわけだが、世の中の人気のあるブログは、どこもだいたい書いてることに統一性があり、フォーマットも決まってる場合が多かった。そういった統一性があるので、ある興味の方向を持った人がアクセスしたときに、満足する確率が高くなる。つまり、読者が作者に期待してるようなものが出てくる可能性が高い。

俺はpmokyとしての過去を捨て、haruyutakaとして、今後は統一性のあることを書こう、と思っていた。いつまでたってもアンテナが100いかないし、アクセスも1日1000もいかないし、という状況に飽きてきていた。フォーマットに従うというのをやってみたかった。

しかしそれってどうなんだろう、とも思った。統一されたフォーマットで価値あることを書く、なんてのは、普通のサイトでやった方がいいんでないか。ブログはそもそも情報を整理しようという発想がない。書いたのが新しい順に並んでいるだけで、古い情報はそれだけアクセスが難しくなる。ブログの情報はつまり書き捨てであり、価値ある情報は新しいものだけで、古い情報に価値があるとはみなされない。

ブログはそういうものだから、価値ある情報を書いてもあまり報われない。そのかわり、最新の情報にすぐアクセスでき、そのサイトの「今」が分かりやすく提示される。

だからブログはその人の「今」を伝える能力に優れているので、俺は、旅を実況中継風に伝えるのに使っている。

その人の「今」が伝えられる時、その内容は統一性を持つだろうか。人は鬱の日もあれば躁の日もあるし、興味も一つには定まらない。「今」を伝えながら内容の統一性やフォーマットを守るのには無理があるように思う。

かと言ってこの旅が終わった後、俺の「今」が興味を持たれるかといえば難しい。本来の俺では1000がせいぜいだ。例によって例のごとく、旅が終わってから作品が出来るまでは荒らしに頑張ってもらう予定だが、その後は多分、アクセスをキープするには今を伝えるのをやめ、無理して統一した面白いブログを目指すしかないだろう。

あるいは俺の人生を面白がる人をきっちり掴んでいくことで、どうにか出来ねえかなあ。それがブログの本来の使い方だと思うんだが。