コンテスト

 誰だかいう文壇の偉い人に認められた結果、文壇に出るみたいな話が全く信用ならない。なんでもそうだけど、自分のやりたいことをやった結果、それを見たお偉方の価値観にたまたまばっちりフィットしました、ということだとすれば、なんだその運否天賦は。たまたまそのお偉方に巡りあえなければ失敗なのかよと思う。全く新しい芸術の潮流を切り開くような作品が、始めは誰も認めないようなものだった場合、このルートじゃ上には上がれないわけだし。

 芸術はプロレスみたいなもので、実体の無い価値を積み重ね名前を肥え太らせることで、ただの油絵に何億という値をつけさせたりする。コンテストの勝利条件を芸術の達成により認めさせることでなく、お偉いさんの目に留まらせることに置いたとすれば、お偉いさんの価値観を分析し、それに即した作品を作ることでとりあえず上にはいけるだろう。ただそこで「お偉いさんが認めました」この事実が名前を肥え太らせる結果になるかどうかが問題だ。後世に名を残す芸術家になれるかどうかは結局無駄にイメージを膨らませられたかで決まり、デビューのやり方はこのイメージに大きく関わってくる。ニッポンの小林さんに認められました、というデビューでは多分世界ではまともな値がつく芸術家には生涯なれない。ジャンジャックルソーとか、ウィトゲンシュタインとか、ハッタリの効く名前の人に認められないと世界で売るのは難しいだろう。

 そうでなく世間でミリオンセラーするようなものを作れ、というのだったらそういうのを作りさえすればそれでいける。偉いさんじゃなくてもその辺のサラリーマン編集者でも価値を認めるだろう。別に誰かに認められなくても今の時代は自主制作して売ってしまえばそれでいい。ただそれでは後世に名を残す芸術家になることも世間の価値観を震撼させることも出来ないだろう。

 だから、理想を追うならば、世間を震撼させるような新しい作品を、それを理解できるお偉いさんを分析して探してうまいこと見せ付けることが出来ればいい。そのお偉いさんは外人である方が良いということになる。これさえ出来れば後世に名を残せる確率はグーンと高まるだろう。