会話について

 食事中に話をしてはならないというのがいつまでの日本の話で、食事中に話をしなくちゃならないとなったのはいつからの日本の話なんだろう。俺は平気で一人で飯を食えるのだが、食べる人がいない場合に一人で食べているのを他人に見せることに耐えられず、便所で飯を食う人がかなりの数いるということを知った。便所飯、今ではエクストリームスポーツの一つに数えられているらしい。

 年配の人が、食事中に話をしたら怒られたという話をしているのはけっこう聞いたことがある。おそらく事実なんだろう。しかし学校給食はどうやって食べていたのだろう。あれは班ごとに無理やり席をくっつけて談笑させられながら食べさせられたものだ。自由に席を移動できるようになったのは中学に入ってからだった。自由に席を移動してしまっては人間として生きていくための会話力に欠けた人間になってしまう、特に仲がよくない人とでも食事しながら談笑できなければまっとうな人間とはいえない。本当か。

 会話力ってのはなんなのか。人と会っている時に会話しなければならないというのはどこの宇宙のルールなのか。無理がありすぎる。こんな無理を人間に課しだしたのはいつからの話なのだろう。近代的自我の目覚めとかよりはるかに後のことだと思うのだが。太宰治は会話のない空白に耐えられない、意味のない話をする、といっていた。会話の空白を避けるようになったのはそう最近の話でもないはずだ。