俺は何のために生きているのか

 俺は何のために生きているのか決めたのだし知っている。自分が何のために生きているのかは自分にしか決められないのだし、最大限エゴイスティックに考えるなら、自分だけで決めていい。自由とはそういう意味だ。

 一般化が役に立つ条件はとても厳しい。一般化を使わなくていいなら好きなことが書けるのに。使うとなると馬鹿みたいに複雑なことをしなくちゃならない。軽い感じで使えればいいのだけど。

 適当にもう適当に書いちゃおう。一般化もしなくていいや。無理にやらなくても一般化は使わないとどうにもならないシステムだ。そして一般化を使って、一般化のメリットが何もない物語だって組める。書ける物語の集合としては論理的には同じだ。現実時間で作れるか作れないか、また、自然に書いたときにどういうものになるかは全然異なるにしても、できることは論理的には同じ。その環境で自然に書いたソースコードが読みやすいか読みにくいか、バグが出やすいか出にくいか。プログラミング環境の勝負どころはその辺で、C++みたいに自然に書いたらぶっ壊れる、確実にぶっ壊れる書き方が許容されるというようなのは驚くほど誤りだ。物語のプログラミング環境の場合は、その環境で自然に書いた物語が面白いか面白くないかの勝負になるだろう。どうやって評価すんだそんなの。