思考の記録

 論理的には絶対に必要に思える機能があって、しかしそれを俺はどうしても実装したくなかった。なぜかはわからない。とにかく嫌で嫌でたまらなかったのだが、実装した。確かに便利なのだが、なにか本能がこの機能はダメだと言っている。変更したコードを辿って戻していき、ソースコードからその機能の痕跡を全部消した。その作業が終わると晴れ晴れとした気持ちになった。

 この機能はあってはならないものだったのだ。論理的にはなくてはならないものなのだが。しかしなくてもどうにかなることは間違いない。その機能は無しで行く。SwitchBranchと呼んでいる機能だが説明するのは難しい。自分へのメモ。俺はSwitchBranchを自分でもよく分からない理由で削除した。論理よりも本能を優先した。

 いつもいつも思う。考えてるのは俺じゃない。俺は俺の本能が命じたことをただこなしているだけだ。俺の意思はあまり関係ない。アイデアを思いつくのも実装方法を思いつくのも俺じゃない。考える作業は俺の中にいる俺じゃない誰かが行っている。人としゃべっている時でもウンコしている時でもそいつは俺の知らないところで考えていて、考え終わるとガンガン脳を揺さぶって答えを教えてくれる。俺は否応なく納得させられそのとおりにする。彼がアイデア出しを担当し、俺は実務を担当する。それ以上のことは出来ない。俺は実装したかった機能があったのだが、そいつに反対されたので結局あきらめるしかなかった。なんだかひどい話だ。おそらく誰だって、アイデアがひらめく時にはよく分からない脳内過程を経て、自分のコントロール下にない何かが直接バチーンと脳を叩くのだと思う。そいつを飼いならすのは無理だし多分飼いならせば自由なアイデア出しというのは出来なくなってしまうのだろう。しかしそいつは本当に俺が認識しているようなものなのだろうか。自分の頭の中のことは自分にしか分からないにもかかわらず、自分にもよく分からない。脳のことを脳は分からない。脳が実現した知能では脳そのものの働きを認識することは難しい。