そうか

 つまり型の定義を循環させないことで、実行パスの循環はまず解決される。再帰は局所的な、1クラスの中に留められる。ポインタの循環も悪性のものを根絶できる。

 しかし、しかしだ。なぜ型の定義を循環させなくても工夫すればプログラムが普通に書けちゃうのか。しかも綺麗に書けちゃうのか。それが分からない。ポインタも実行パスも循環を排除できなかったのに、型定義はなぜ排除できるのだろう。それとも俺はこれからそれに出会うのだろうか。型定義を循環させないと書けない問題に。しかしAndersは、そんな問題が存在しないことを知っていたから、DLLを循環できなくしたんじゃないのか。それともただの歴史的な問題だろうか。