プログラムマネージャはコーダにお伺いを立てなければならない。

 これもJoel on Softwareから。 http://japanese.joelonsoftware.com/PainlessSpecs/3.html

3. コーダをプログラムマネージャの監督下に置かない。これはちょっとした間違いだ。Microsoftのプログラムマネージャとして、私はExcelVisual Basic (VBA)ストラテジーをデザインし、VBAExcelにどのように実装すべきか、微細な詳細にいたるまで完全に仕様化した。私の仕様書は500ページに及んだ。Excel 5.0の開発の高みから私の見積ったところでは、毎朝250人の人々が働きに出て来て、私の書いた巨大な仕様に関わる作業をしていた。私はこの人たちが誰なのか全然知らなかったが、Visual Basicチームに限っても、これのドキュメンテーションを書くだけのために1ダースほどの人々がいた(Excel側からドキュメントを書いていたチームや、ヘルプのハイパーリンクを管理していたフルタイムの人は入れないでだ)。奇妙なのは、私が職階の「最下層」にいたということだ。そう、私には部下は誰もいなかった。私が誰かに何かしてもらいたいと思ったら、それをするのが正しいということを納得させる必要があった。もし主席開発者のベン・ワルドマンが私が仕様書に書いたようなことを何もやりたくないと思っていたなら、彼は単にやらなかっただろう。テスタが私の仕様書に書いたことは完全にはテストできないと文句をつけてきたら、私はそれを単純化する必要があった。もしこれらの人々の誰かが私の部下であったなら、製品はそんなに良いものとはならなかっただろう。彼らのあるものは上司にとやかく言うのはまずいと思うかもしれない。あるいは、私がうぬぼれや近視眼のために、私のやり方でやるように断固として命令していたかもしれない。実際にはコンセンサスを得る以外には私に選択肢はなかった。このような意思決定形式が、正しいことが行われるようにするための最善の方法だった。

 これは民主主義がなぜ有効か、ということの答えでもあるだろう。大部分が全く政治に関心がなく、選挙にも行かず、合理的思考より感情を優先し何かといえば文句ばかり言う国民というものが、政治家の上に立って政治に混迷と非効率をもたらすことが、なぜ有効なのか。それはつまり、お伺いを立てる相手がいないと正しい判断というのはどんなに賢い人にも出来ないということだ。

 会社もこんな感じで、重要事項の決定には全社員の多数決をとることにすればサービス残業とか業績が賃金に反映されないとか馬車馬のように働かされるとかの問題は全部解決されるだろう。会社は潰れるだろうけど。

 それにしても、妻以外の女性と同居していたから辞任とか、事務所の経費がやけに多い(ただの推測じゃねえか)とか、どっかの週刊誌なんかは「石原都知事はファーストクラスで海外出張していて経費が一千万もかかっているぞ!」とか、都知事がファーストクラスに乗って何が悪いんだっての。都知事がファーストクラスに乗っちゃいけなくて、誰なら乗っていいんだ?

 妻以外の女性と同居していることが仕事の成否と何か関係があるのか? その人をクビにすることで政治が良くなって君らの暮らしは改善するのか? 引継ぎとか方針の作り直しとか、方針を作り直さないなら前任者の方針をそのまま引き継いで後任に不本意な仕事をさせるのか、そういったコストについて考えたことはあるのか?

 なんで女性問題とかそんなんで政権が揺れ動かなきゃならねえんだ? 国会が空転することでどれだけの非効率がこの国に発生しているか考えたことはあるのか? そんなくだらないことでいつまで損失をこうむらなきゃならねえんだ俺たちは。

 いくらでも文句は出てくるけど、独裁=危険というステレオタイプな認識がどこを見渡しても別に間違ってないということを考えれば、独裁を避ける手段は絶対に必要なことだ。政治家のうえに国民が立っていて、非効率を甘んじて受けながらどうにかお伺いを立てつつ行動するのが結果的には正しいということだ。イデオロギーとかなんやかやの思い込みに染まったマスコミと対決してもあんまり得るところはないだろうけど、小泉流に国民に直で話しかけて支持を得るやり方なら本物の集合知が相手だからおおむね間違わないし、間違っても全員の責任になるから直しやすい。戦後日本は反省しすぎなような気はするけど、基本的に民主主義というのは必要なものだろう。

 独裁者は自分を神格化したりシンボル化したりしちゃうのが一番の問題で、それが社会全体にあまねくいきわたれば誰も反対できなくなる。フセイン大統領は99%の支持率で再選していたし。民主主義のシステムがあるからどうだということでもない。社会全体でお国のためとか言ってて反対したら非国民とか言われちゃうんじゃ民主主義なんて一個も機能しない。現代社会でも結構ある「天皇」と「政治家」の分離、国家のシンボルと実際の権限の分離も基本的には有効だと思う。アメリカみたいに大統領という国家のシンボルがものすごい権限を握る体制だといろんな無茶が通ってしまう。国民から好かれてしまえば何でも出来てしまう。彼の意見に対して誰かが反対しなければならず、その意見がまっとうなら通る形を作っておかなきゃいけない。

 普段は何もしないし特に何の権力も持ってないんだけどなぜか国家のシンボルとして存在している人、というのはすごく都合のいい考えだけど、実際にいる。天皇が何か言えば今でも実際に国民は考え込む。こういう人がいることは決してマイナスではないと思うのだけどどうだろうな。