俺なんかでもネットから得た見解を、相手がそのサイトを見てないだろうと思って、自分が考えたかのようにしゃべってしまうことがある。

自分の意見を構成するために他人の意見を組み合わせるのが情報化社会のなれの果てで、岡田斗司夫はそれを自由洗脳競争社会と呼んだんだったか。サイトやブログの作成者は自由洗脳競争社会における与洗脳者として市場に参加し、洗脳を行うことで自分の意識が他者を支配したという自我肥大の妄想を利得として得る。

ずいぶん狂った世界だが、そこには欲望に燃える個人がいるのでモデルとしては分かりやすい。しかし与洗脳者として最も影響が大きいのは個人でもなんでもなく、匿名の意思の集合体である2ちゃんねるで、あそこのわけしり顔でケンカ口調の人達が全体として作りだした流れが多くの人を洗脳している。そもそも匿名掲示板でしか自己を主張できない場合それを自己と呼ぶべきなのか。しかし、誰の心の中にもある匿名の自我が、スレに参加することで溶けあった場合に、その総意として生まれたスレの意思は自分の意思と溶け合って、自分の意見として主張が可能になってしまう。スレに参加しない人間にすらその影響は及ぶ。2ちゃんねらの意見すなわち俺たちの意見すなわち俺の意見。

洗脳よりずっと浸透力が強いし洗脳ですらない。しかしVIPブログがムカつけば簡単に潰せるくらいの暴力もある。2ちゃんねらを扇動する巨大な力の存在は常々感じるが、その意志はこれまではそんなにうまくいってないように思う。しかし2ちゃんねるに精通した者達多数が、意志を持って巨大な自作自演を行えば誰も抗することは出来ないだろう。そこの技術を持った組織は広告より高い洗脳力で、自由洗脳競争社会の勝者となり電通を追いやるのかもしれない。

俺なんかはブログで歪んだ個人の欲望をぶちまけているが、それが個人であるがゆえにあまり強くないなあと感じる。これからの強者は意志を持たない意思の集合、あるいはそれにうまく見せかけられるもの。個人はどこまでいっても集団のカウンターパートで、個人の時代なんか来やしない。